海の向こうで暮らしてみたい④~シンガポール航空~

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ミネソタからロサンゼルス経由で関空までの空の旅。

いくつになっても、空港や飛行機の特別な環境は、ワクワク胸が高まります。

まるで子供の様に、前日は眠れませんでした。
 

飛行機を利用する度に、機内アナウンスやサービス、CAの立ち居振る舞いから、ギャレーの構造など、ついつい気になってしまいます。

もう、何年も離れているのに…

これが職業病というものなのでしょうか。

前回のブログ記事

海の向こうで暮らしてみたい③~CAまでの道のり~
海の向こうで暮らしてみたい③~CAまでの道のり~
前回の続きになります。 大学4年生になり、CAという夢を叶える為に...

から、少し時間があいてしまいました。

シンガポール航空での採用が決まり、希望を胸に膨らませ、意気揚々とシンガポール・チャンギ空港へと旅立った日。

あの頃を、ゆっくり思い出しながら、ブログに書き記してみたいと思い、息子が横で寝ている間に、窓から見る夕焼けの景色を眺めながら、パソコンを立ち上げました。

当時の事は、今でもはっきり覚えています。

空港には、家族と友人たちがサプライズで見送りに来てくれました。

スーツケース1つに段ボール2箱、荷物はたったそれだけの片道切符。

飛行機が飛び立ってから、家族と友人からの温かい励ましの手紙を何度も読み返しました。

胸にこみ上げてくる熱い想い、その時の初心を忘れないよう、しっかり心に刻み込みました。

チャンギ空港に降り立つと、熱帯独特の肌にまとわりつくような湿気とブーゲンビリアの鮮やかなピンク色がとても印象的でした。

そして、新卒既卒、合わせて38人の仲間と共に、4か月間の地上訓練が始まりました。

その間は、もちろん日本に帰ることができません。

シンガポールは淡路島と同じくらいの国土です。

その為、家賃や車は日本の倍以上…必然的にルームシェアという形で部屋を借りることとなりました。

到着して2週間の間に、

誰とルームシェアをするのか、

どこに住むのか

不動産屋を通して、自分たちで家を契約しなくてはなりません。

まだ、ほとんどお互いの事を知らないまま、そして、土地勘も分からないままの状況で…

私は最終面接の時に、声をかけてくれた同期と一緒に3人で住むことになりました。

地上訓練はすべて英語でした。

セーフティー、ファーストエイド、飛行機の機材、サービスについて等、想定する、様々なケーススタディーを朝から夕方まで、しっかり教え込まれました。

留学経験のなかった私は、毎回の授業についていくのに必死でした。

同期のサポートのお陰で、テストは何とかギリギリ合格。

「受かればよし!」

そんな楽観的な性格が、返って良かったかも知れません。

訓練の中でも、一番楽しかったのは、メイクアップの授業と、モックアップ(模擬の機内客室)でのサービスの授業でした。

シンガポール航空の制服は、「サロンケバヤ」と呼ばれている、元々はマレーシアの民族衣装です。

体の線に沿った、鮮やかなサロンケバヤに生えるメイクアップ。

肌の色身に合わせた、独特なメイクの仕方をガイドラインに沿いながら学びます。

ひとたびメイクをすると、一体何人なのか分からなくなります。

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CAと聞くと、華やかな職業と思われがちですが、サービス以上に、保安要員としての素質が求められます。

様々な緊急事態に備えて、座学での勉強は元より、5Mほどの高さの飛行機のスライドラフトから脱出を想定して滑り降り、サロンケバヤを着たまま深さ3mの冷たいプールで泳ぐ訓練もあり、とにかく

体力勝負の世界です。

面接の時、

「体力だけは自信があります!」

そこを全力で伝えたお陰で、私は採用されたのかもしれません(笑)

空港で、先輩方がスーツケースを片手に、サロンケバヤで颯爽と歩く姿を見かける度に

「早く私たちも飛びたいね!」

同期と互いに励まし合いながら、とにかく目の前の事を必死に取り組む日々でした。

日本にいる家族や大好きな友達の事を想うとホームシックにもなりました。

学生時代によく聴いていた音楽をかけながら、何度も手紙を読んでは、自分を奮い立たせました。

仕事としてお金を受け取る以上、やはり、学生の頃のように生半可な気持ちでいられません。

それは私だけではなく、同期も皆が同じ気持ちだったと思います。

一緒に笑い合い、共に泣いたこともありました。

4か月のトレーニングを無事に終えることができたのは、同期の存在なくしてはあり得ません。

苦楽を共にしてきた同期とは、それぞれ別の道を進んでいても、頻繁に会えなくても、今でもいい関係で繋がっています。

CAは女社会のイメージがあり、ずっと共学で来た私は、初めは、「いじめや、嫌がらせなど、何か陰湿なことがあるのでは?」そんな不安もありました。

けれど、それは全くの取り越し苦労でした。

むしろ、異国の地で日本人としての団結力が強まり、日本人だからこそできる、心遣いとおもてなしを、手取り足取り、一から丁寧に先輩方に教えていただきました。

仕事には厳しい一面があっても、地上に降りればとても優しい先輩方ばかり。

そうした伝統が、後輩へと引き継がれ、より良いサービスを提供していくエネルギーになっていくのだと感じました。

良いサービスは良いチームワークから生まれる

私たち日本人CAは、シンガポールと日本を結ぶ懸け橋となる大切な役目。

日本文化の特徴や、日本人のお客様は何を求めているか、シンガポール人クルーに丁寧に説明していくことも大きな仕事の一つでした。

駆け出しの頃は、大した仕事もできずに、悔しくて、泣きそうなこともありました。

けれど、ここで愚痴を言ったら負けてしまう。自分がずっと思い描いていた夢を、自分の手で壊してしまう事になる。

グッと耐えることも学びました。

こうして、精神的にも、少しづつ強くなっていったのだと思います。

日本を離れたから見えた日本の素晴らしさ、日本人としての誇りを持てる事に嬉しくも感じました。

シンガポール航空での5年間は、世間知らずな、無知だった私を、一回りも二回りも成長させてくれました。

両親にはいろいろ心配かけたけれど、シンガポールに招待し、実際に働いている姿を見てもらえたことで、少しは恩返しできたかな?

そんな気持ちになれました。

休暇を利用して、母や同期といろんな国へと旅行したことも、いい思い出です。

行ってみたかった国へ行き、そこでの食事や文化に直接触れてみて感じるのは

「世界は広い」

この、たった一言に尽きます。

飛行機からの景色を眺めていると、日々の悩みなど本当にちっぽけに感じます。

ひとたび視野を広げてみると、

考え方を自分で狭くしていたことにも気が付きました。

フライト中、休憩時間になるとよく窓からの景色を眺めました。

どこまでも続く、広い「空」が大好きでした。

いつか自分に子供が生まれたら、

「そら」と名付けたい。

そんな風に思っていたことが懐かしく、

隣ですやすや眠る息子、「そら」の寝顔を見つめてみる。

あぁ、自分が願っていたことが、時間をかけながら一つ一つ叶っているんだなぁ…

思い続ける事で、チャンスがあった時に一歩踏み出すことができました。

こうして、点と点が結びつきながら、一本の道へと続いていきました。

今でもあまりあの頃の自分と変わっていません。

多少、ゆっくりペースにはなったものの、自分の気持ちに正直に、やりたいと思ったことをやっています。

そうさせてくれる環境や家族に「ありがとう」の気持ちです。

海外生活への憧れ、私にとって、シンガポールが出発地点でした。

そして、またそこから次なる点へとつながっていきました。

また機会を見つけてその後の「点」も綴っていきたいと思っています。

今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

皆様、素敵なクリスマスをお過ごしください。

続きになります

海の向こうで暮らしてみたい⑤~シンガポール航空2~
海の向こうで暮らしてみたい⑤~シンガポール航空2~
前回の続きになります。 小さい頃からの夢。 それはキャビンアテン...

コメント

  1. 久実 より:

    胸が熱くなったよ、千穂さん。
    千穂さんの優しさと強さはそんな数々の経験や出会いから築かれてきてるんだね。それにしても千穂さんのCA姿にうっとり♡ そしてその姿での3メートルのプール訓練とやらにビックリ‼︎

  2. kurayan1106 より:

    久実さん、ブログ読んでくれてどうもありがとう!いろんな出会いと、その時の環境で逞しく成長できました(笑)若干、逞しくなりすぎ!?だけど…極寒の環境で生き抜く術を身につけつつ、楽しみながらいろんな経験をしていけたらいいな~と思ってます。蕎麦が凍るなんて経験、日本ではできないよね!