水になれ


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ヨガをきっかけに、最近は古典哲学の本を読むことがちょっとしたマイブームです。

先日、「老子」に関する本を読んでいました。

老子は、「道」を説く時に、「水」で表現されています。

(「道」とは生き方、在り方と捉えています)

水は全ての存在を生かし、全ての存在にとって役に立つ。

水は他と争わない

人がさげすむような低い所にいても、自足している

水はよき人と常に供にいて、その言動は善である。

「争わない。柔軟である。しかし偏在し、そのいくところ常にある」

謙虚で、物腰は柔らかで、人柄は素朴。

度量は広くて、その果ては見えない。

まさに、老子が理想とする大人(たいじん)は「水」と繋がっています。

水と言えば、「清らかさ」「澄んでいる」を連想しそうですが、それだけの姿ではない。

悠々と迫らず、泥を掻きあがて濁って見えない。大海のごとくに見え、それが流れているとは感じられない。

「清らかさ」を追求しない。

満ちて溢れて壊れる事がない、そんな全てを受け入れられる「器」こそ、理想の人。

こう説いています。

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先日、3泊4日でナイアガラの滝を見に行きました。

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老子の言う「水」の在り方。

水は高いところから、低い所へ流れていきます。

それは皆が知っている事です。

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でも私たちは、低い所から高い所へ這い上がろうとして行きます。

理想を追い求めて

我先にと、争う事も厭わない

水と言う考え方からすれば、それは「不自然」なんですよね。

逆流しているから、負荷がかかる。

なかなか上手くいかない。

でも、上手くいかない事は

まだまだ「頑張っていないからだ」と勘違いして、

もっともっと、力を入れて登ろうとする。

老子は「無欲」であるべきだと説いている、仙人の様な人です。

これでは「発展がない」「向上がない」と、思われるかもしれません。

そうではなくて、

「人の為に」自分の「欲」を捨てると言う事。

水になって、上に立つものが、下へ降りて同じ視線で物事を考えよ。

そうすれば、多くの富と愛が民衆からあふれ出て、祝福される。

そして、高い山ではなく「谷」になれ

そこにはすべての水が流れ込み、そこで一つになる。

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多くの愛と富(豊かさ)を得たければ、

「我を捨てよ」

「謙虚であれ」

という精神。

幸福への道は、自分の成果や誇りすら手放し、忘れ去ること。

吸い込まれそうになる滝を眺めながら、

私はしばしその事をずっと考えていました。

人は常に向上心を持つべきだと、私は思っていました。

もちろん、それはとても大切な事。

けれど、「我」しか見ていない向上心は、他人も自分をも苦しめる。

逆境に耐える事こそが「強さ」と思っていたけれど、

柔軟で弱いからこそ、自由自在に変化できる「強さ」となる。

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▲水は氷にも、雲にもなります。その時に必要な形になる。

本来、人間も自然界で言うと物質の一部です。

だから、不自然な事をしていると必ずどこか具合が悪くなります。

体を壊したり、精神を病んでしまったり。

そんな時、自然な流れに身を任せる事がいかに大切かと言う事に気が付きます。

自然に任せて、「なにもしない」事に、意味がある。

無理に何かをしようとするから、歪みが出てくる。

もう一つ、桜井章一氏の「水」に関する素敵な言葉を。

素直でいれば「本質」が見えます。

本当の素直というのは、悪いもの、違和感を感じるものに正面からきっちり対抗できる人です。

素直な心と言うのは、水の流れの様なものです。水の流れは、邪魔な石があればスーッとよけていきます。それが素直な心と言う事です

不思議な事に、老子も、送られてくるメルマガでたまたま目についた、桜井氏の言葉も、

私がナイアガラの滝に行く前に、ふと目に留まった言葉です。

きっと、私の意識が「水」を必要としていたのかもしれません。

9月に入って、空気も変わり、空も、木々も、そして水の色も変化し始めています。

流れるように、変化に順応していけると良いなぁ…。

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今日も読んで下さり、ありがとうございました。